[PR]テレビ番組表
今夜の番組チェック

祇園祭の“しくみ”

◆その1 祇園祭宵山会議

平成18年8月1日
 近年ある関係者より問題にされるのは、『祇園祭の主催者はだれか』という問題です。明石の花火大会以降、雑踏警備責任者の管理責任について注目されるようになりました。つまり事故が起こったときの責任の所在です。
 さて、祇園祭について考えてみましょう。祇園祭は八坂神社のお祭りです。しかし、主催者は、というと八坂神社ではありません。主催者は『ない』というのが実情です。祇園祭に限らず、昔から行われている祭りとは、皆が自己責任の中で行ってきたものではないでしょうか。
 そこで、祇園祭宵山会議という団体が作られました。これは、いわば、『宵山の主催者はだれか』という警察の求めに応じて京都市や祇園祭山鉾連合会などが作った組織です。今年で3年目かと思います。メンバーは平成18年のパンフレット『宵山・巡行ガイド2006』によると京都府、京都市、八坂神社、祇園祭協賛会、祇園祭山鉾連合会、京都市観光協会、京都市交通局、京阪電気鉄道、阪急電鉄、京都市文化観光資源保護財団の名前が列挙されています。
 それではこの祇園祭宵山会議が何をしているのか? というとよくわからないのです。雑踏整理用のオレンジの三角コーンやジョイントバーを警察に貸し出しています。交通規制に伴うガードマンを手配しています。これは本来の目的に合致し、わかりやすいのですが、どうやら平成18年の予算の半分以上は、観光客向けのパンフレットの制作費のようです。
 収入源は平成18年の場合、広告収入のほか会費収入があります。会費は先に書いたメンバーの一部が支払っているようです。京都市は100万円。祇園祭山鉾連合会と京都市観光協会はそれぞれ20万円です。ただ祇園祭山鉾連合会と京都市観光協会とでは、お金の出所が全く違います。祇園祭山鉾連合会は自らの運営費の中から支払っていますが、京都市観光協会は御池の観覧席の経費として払っています。ここでも御池の観覧席の収益は京都市観光協会の運営費として使われているのです。

◆その2 祇園祭協賛会

平成18年8月17日
 現在の祇園祭に関する補助金のとりまとめを行っています。京都府・京都市の補助金そして財団法人京都市文化観光資源保護財団からの補助金、京都市観光協会の御池通観覧席による収益金が集まります。祇園祭協賛会自身もおよそ1100万円の協賛金を集めます。これらのお金、およそ9000万円が祇園祭の経費ということになります。ただし、これで全ての経費を賄っているわけではありません。
 使途は、祇園祭山鉾連合会や花傘連合会への補助金のほか、信号機・感知器に150万円(おそらく一時的に回転させるなど、移動させる作業費と推測されます)、照明・拡声に35万円(おそらく街灯を一時的に回転させるなど、移動させる作業費でしょう。拡声とは臨時に拡声器を取り付けるのでしょうか?)など、インフラ関連のほか、ゴミ処理費95万円などもあります。このゴミの多くは宵山で、露天商の特に飲食関係から出されるものです。“ゴミ問題”は祇園祭山鉾連合会にとっても地元にとっても最も深刻な問題ですので項を改めて報告します。
 話題を元に戻します。入ってくるお金の出所は、観覧席の売り上げの他は、協賛金、つまり寄付金か税金です。出る方のお金の中で、協会費3万円というのがあります。これは京都市観光協会の会費です。
 繰り返して述べます。京都市観光協会の会費を払っているのは、寄付金か税金か、観覧席の売り上げです。

◆その3 財団法人京都市文化観光資源保護財団

平成18年8月17日
 京都市が作った財団のようです。ここでは説明しきれないくらい幅広く活動しているようです。 同財団のwebサイトをご覧ください。

◆その4 八坂神社清々講社(せいせいこうしゃ)

平成18年8月28日
 7月2日に京都市役所本会議場で行われる『くじ取り式』で、傍聴席から見て、演壇の左側にすわっている方々のうち、八坂神社の宮司さんの左側、すなわち2番目の席にすわっている方、その方が清々講社で一番偉い『幹事長』にあたる方です。私の感覚では清々講社は尊ぶべき存在です。たとえばパーティーの名簿を作るとき、序列で悩むことが多いと思いますが、祇園祭山鉾関係で言うと、1番は八坂神社宮司。これは誰もが認めるところでしょう。2番目はというと、国会議員でもなければ知事や市長でもありません。清々講社幹事長です。
 清々講社の実体はわたしもほとんど知らないのですが、早い話が『八坂神社のお祭りのために募金(寄付金)を集める団体』で、明治5年にできました。ほかのお祭りでもこういった制度があり、たとえば、時代祭には平安講社があり、平安講社は明治28年に創建されました。
 明治時代の清々講社は祇園祭の危機を救った“大”功績があります。明治の初期は祇園祭にとってたいへん貧乏な時代だったようです。記録(改訂近世祇園祭山鉾巡行史、著者・福井秀一、発行・祇園祭山鉾連合会)によりますと、“明治21年、鶏鉾町が清々講社に届け出た負債は8143円。債務者より返済を迫られ、町会所や鉾も売却処分する外ないまでに立至ったが、清々講社がその一部を肩代わりし、この苦境を切り抜けた。月鉾町は翌、明治22年の負債が1万円あり、これも清々講社に救済を仰いだ。清々講社への返済は明治38年までかかった”とあります。
 現在のお祭りにおいては、山鉾建て、鉾の曳き初め、17日の巡行のための警察への道路使用許可は清々講社が申請しています。巡行のくじ渡し場の社(屋根など)の設営は清々講社ではないかと推測しています。ここで『推測』と書くのは、私自身がくじ渡し場の社を誰が造っているのかを知っている人に会ったことがないからです。